安城市内にある家康及び家康に関係する人物のゆかりの地を紹介します。
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ほんだただたかぼひ
本多忠高は、徳川四天王の一人、本多忠勝の父にあたる。
1549年(天文18年)3月、今川・松平連合軍は、織田軍のいる安城城を攻撃した。松平軍の主将として先鋒となった忠高は、本丸へ逃げ込む織田信広(信長の兄)に怒涛の勢いで追い迫ったが、入り口の曲輪まで深入りしたため、敵の矢に当たり戦死した。勢いに乗った今川・松平連合軍はこの戦いに勝利し、織田軍の人質になっていた竹千代(後の家康公)の奪還に成功した。この墓碑は、忠高が戦死した場所に建てられたと伝えられる。
本多忠高、織田信広
安城市安城町赤塚4-1
安城市歴史博物館の駐車場(約230台)
名鉄南安城駅から徒歩15分
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あんくるバス桜井線「安祥福祉センター」停留所から徒歩15分