〜生い立ちと児童文学への道〜
新美南吉(本名正八)は、大正2(1913)年7月30日、知多郡半田町(現半田市)で生まれました。4歳で母を亡くし、8歳で母方の実家「新美家」の養子に入るなど、複雑な少年時代を送りました。この頃の孤独や母への憧れは、後の作品に垣間見ることができます。
南吉は、16歳の頃から、若手作家の登竜門であり日本を代表する児童雑誌『赤い鳥』に作品を投稿し始め、昭和7年1月号には『ごん狐』が掲載されました。この頃からペンネームの「南吉」が定着していきました。同年4月、東京外国語学校英語部文科に入学。東京で巽聖歌や与田準一、江口榛一などとの交流を通して、文学活動の世界を広めていきました。